今後のテニスイズムの公式発表を行いました。

 
今からちょうど1年半くらい前に、突如テニ男からテニ吉に、『ユーチューブを通してテニスをやろう。』という打診が入った。表現するのは、テニスド素人のおっさん(テニ吉)が、一体どこまでやり遂げられるのかをリアルに表現しようじゃないか、というコンセプトのもと…もちろんテニ男には自信があったのだ。テニ吉が最短で、ありえない成長をすることができる像をその時すでにイメージできていたのだ。

ただその裏にはテニ男のしたたかな狙いと根拠のない自信があったのだ。それはなんなのかというと、『非常に元気がないスポーツ業界に、この活動を通じてささやかでもいいから風を注ぎ込もう。一度は封印したテニスコーチ業で培った現場のノウハウと自らのトーナメント経験からくる気づきを、テニ吉への指導を通じて再び復活させよう。テニスプレーヤーを少しでも盛り上げよう。テニ吉の人生においてかけがえのない経験をさせよう。そしてそれらを通して自分たちが信じる流儀(道)を敢えて公の場に披露しよう。こうして立ち上がったのが、良いも悪いも全てお見せする、醜い人間模様もありのままでお見せする、テニスリアリティーショーという形、テニスイズムなのだ。
 

チャンネル開設2か月ほどで、怒涛の快進撃

 
そうこうして始まったテニスイズム。最初は、テニ吉のテニスも人間力も、現在と比べると雲泥の差。全くもって未熟そのものであり、その一方でどこかのタイミングで、ユーチューブ関連動画などに、常にきちんと表示されるようになったら必ず見られるコンテンツだという確信があった。なぜならテニスのありのままを見せるということは、なかなかできることではないうえに、他にそのようなテーマのテニスチャンネルもなかったからである。しかも目指す目標が無謀そのものだが、そのように感じていたのは視聴者側だけであり、テニ男に関しては全くもってその常識をぶち壊す確信があったのだ。それを怒涛のように『激変』というキーワードを使って再現させてゆくこととなる。そうなるとチャンネル自体の魅力は当然オーラとして表現されてくる。そこへ登場するのが、あの有名なマチュー先輩なのであった。彼の尽力で、表示という一つ目のハードルを越えることができたのだ。すなはち、より多くの人の目に触れるようになったのである。

反応はあっという間であった。再生回数、コメント数があっという間に当時の超人気ユーチューバーの数字と肩を並べるくらいまで急上昇!ユーチューブの急上昇にも2,3回のることになった。そこからあれよあれよと多くの人の知るところとなったのだ。
 
 

転機

 
それからというもの、とにかく多くのありがたい出会いがあった。結局リスナーを番組に登場させるというコンセプトを始めることになり、テニスイズムのキャラクターの厚みがでたのだ。イベントを開催しても、本当に多くの素晴らしいリスナー達に支えられているのだと心の底から感動した。SNS上でテニスイズムはどんどん拡散されていったのだ。
 
 

 
 

そうなると当然出てくるのがアンチw。ほんとにこのアンチというのは全くもってカスかクズばかりで、そのことを自分自身が気づいてないことに本当に哀れさを感じるほどに無意味な妄想に駆られ、行動をしている生き物であると体感できたのだ。自分の背中に背負っている大切なものを表に出して、きちんとタイマン張れるやつでない限り、こちらは相手にするつもりはないが、いつ攻撃が来て、返り討ちする必要があるやもしれないので、その日を楽しみにして表に顔を出したりしていたが、一人もそういった奴は現れなかった。ただただ、人が幸せになってゆくのが耐えられず、引きずりおろしたいという願望からあのような行動に出る生き物とかかわることが多くなってくるのであった。それは集まってくるとんでもない数に比例するかのように。
 
 

気づき

 
テニスイズムの撮影やシナリオを考案すること、そういったユーチューバーのよくある大変さなどは、特に重荷に感じたりしたことはなかった。俺たちのコンセプトは、素人がどこまで行けるかをリアルに表現することが表向きの構成になっているが、それがここまで共感されるとは思っていなかったことを、多くの人たちと出会って痛感していた。だからこそ、反応してくれるから、もっともっとこの人たちを本当に楽しませたいし、その人たちの人生に少しでも善なる勇気を与えたかったのだ。とにかくそこが一番のやりがいだった。ところが、徐々に、今まであった反響が、データー的には低下してくることになる。
 
 

 
 

しかも、緩やかに下降を辿る。本当に先が見えなくなるくらい。なのにアンチの数は減っていかず、ぶっちゃけ慣れてしまうくらいになった。そうなると芽生えてくるのが、このような考えだ。『支持者が減っていきもはや増えていかない。一方でアンチは根強く残っている。これはもはやこのチャンネルが支持されていない』『そうなると、チャンネル内にいる高い割合のリスナーが、中途半端なあまのじゃくやアンチ寄りの層』。しかもテニスユーチューブ界が、プロが出てくる動画がものすごく支持されるようになっていったり、レッスン物のチャンネル登録数の高いチャンネルですら、ありえないほど低い再生回数である状態が続いたりしているのだ。
そうなると、何のために盛り上げようとしているのか、一体だれのために盛り上げようとしているのか、ばからしいという考え方に変わっていったのであった。
ある一定数以上の支持者がいるのであれば、続けてゆく意味があるが、それもないのに、テニスユーチューブ界がこのような主流になっているのに、この場所にテニスイズムがいる意味が見いだせなくなり、このような結論に達したのであった。 
 

『もう線引きをしよう。』

 
よって、今回最後に線引きをしようと思ったのである。動画で説明しているが、それを7月7日までに達しない場合、潔くユーチューブからは出ていこうと思ったのだ。ユーチューバーであることやお金や名誉などは全く興味がなかった。ただただこの場所で出会った仲間たちと共に、自分たちが当初掲げたビジョンを追求してゆこうと思っていただけだから。だから軽く出ていくのだ。必要ないという世論を本当にこの目で確認できるなら、全くもって問題ない選択なのである。次はニコニコ動画でこの先は続けてゆく。でも同じことで支持がなければ完全にSNSから出てゆくことにする。時に大きな自然の流れに任せてみて、己の人生の舵を取ってゆくのも非常に理にかなっているので、今回まさにうってつけだ。どんなフィールドでも楽しみながら苦労することを自分たちの流儀にしているので、きっと何かステージが変わるきっかけなのだという捉え方なのである。とにかくこの後動向を探ろう。

執筆 テニ男